「第45回 八幡宮の階段」『鎌倉殿の13人』

考えてみれば妙な感じがする。立ち去る平六が衿を触り、小四郎を失意のどん底に追いやる件である。平六の裏切り性格は周知であり、しかも平六は小四郎に憎悪を隠さなくなっている。今さら平六の真意を知ったところで、それは量的な驚きであり質的なものにはならない。なぜそこまでどんよりする必要があるのか。


平六の衿にはふたつの解釈がある。小四郎が考えるように、嘘を言ったとき無意識に衿を触ってしまうのか。あるいは、小四郎のかかる認識を承知のうえで、あえて衿を触っている可能性もある。


衿ネタが出てきたとき、それは彼しくない、平六にしては天然すぎると違和感を覚えた。ファンとしては後者であってほしい。もし平六が故意に衿を正すのなら、それはツンデレ的意思表示になる。「俺は裏切る」という注意喚起であり、「嫌いなんだから☆」という讒言である。


しかしこれもまた、故意であれ無意識であれ量の問題にすぎない。無意識に触ってしまうとしても、後ろめたいからであり、小四郎に情が残っている証左である。平六が本当にサイコだったら衿を触ることはないだろう。衿を触ったとしても小四郎は落ち込む必要はない。むしろ触ってくれた方がましではないか。ところが小四郎にはそこまで頭が回らない。人がいいから素直に真意だと受け取ってしまう。人がいいから暗黒面に落ちてしまう。


衿の場面、もし衿に手をかけるところでカットを割って平六の手元を接写する下品な割をやったら、小四郎が平六の真意を探るニュアンスも出てきただろう。しかし、画面は小四郎のミドルショットのまま動かず、小四郎越しに捕捉された立ち去る平六はボケ足の手前で何気なく衿を触るのみである。平六の真意は問題ではない。捕捉したいのは自閉してしまっている小四郎の孤独である。引き絵だからこそかえって小四郎の心理に引き込まれるのである。