コリン・ウィルソン 『賢者の石』 The Philosopher's Stone [1969]

賢者の石 (創元推理文庫 641-1)

 この胡散臭いユーモアは『非Aの世界』('45)と似ていて、どちらの内語も莫迦みたいに超人化する自分をフォローしてゆくのであるが、例のごとく、われわれには、われわれの能力を超えたものを語ることができないので、そのすげえ感じがよく解らない。したがって、これはすごい、とされた人の内語が開けっ放しになると、現状の把握について、われわれと物語の間でユーモラスなズレが生じかねない。ここでわれわれは、作者が作者だけに、その落差をノリノリなトンデモとして理解する他はない。
 ただ、『非A〜』と違って、内語をあくまで一人にとどめる律儀な配慮もあり、準じて超人化しつつある相棒の内語は明かされない。つまり、内語を開示しない超人という、整合性のとれた、いわば能力のガイドとなる他人が主人公の側にちゃんと配置されており、われわれは内語が見えないことで実現したその神秘性を、開け放たれた、何とも俗っぽい主人公の内語に仮託できるような気もするし、あるいは反面、むしろ内語を開示しない人格へ萌え上がるために、主人公の内語がガイドとして利用される、という転倒の感も出てきそうだ。こうなるとホーガンの「ダンチェッカーさん萌え」*1が彷彿とされるようであり、ユーモアはおやぢどもへの優しさと手を携えたようにも見える。実際、「ムー大陸!」などとアレなことになって調子こいたおやぢどもに魔の手が……とか何とかなっても、運転中に睡魔に襲われたり酔漢にからまれたりする以上のことは起こらず、おやぢどもの脳内戦争といった趣が愛らしく安心である。自分はもうおやぢが虐待される風景に耐えられそうもない。

*1:『星を継ぐもの』 2004/12/28を参照