佐々木春隆 『B29基地を占領せよ―10個師団36万人を動員した桂林作戦の戦い』

B29基地を占領せよ―10個師団36万人を動員した桂林作戦の戦い (光人社NF文庫)
迫を越える火力に40年代冒頭の国府軍が支援されることは少ない。日本側にとっては「山砲があれば負けない」状況であり、迫をアウトレンジする山砲の支援で突撃してしまえば、あとは爆煙の晴れた高地に日の丸が翻るパターンが多い。しかし、創作の観点からすれば、優勢な火力支援は悲壮感の妨げになって、話としては面白くない。山砲を無効にするギミックがほしい。


山砲の弾薬が緒戦で消尽してしまったのが『長沙作戦』である。長沙まで行くという軍司令官の無謀な命令が本気にされず、どうせ途中で作戦中止だろうと、バカスカ撃ちまくったのである。結果、半包囲からの脱出戦が招来した。


3年後、作者の連隊は一号作戦に参加し、桂林へ向けて行軍していた。南下するにつれ、中国側の米式化と米軍の航空支援が始まり、山砲でアウトレンジする前提が崩れ始める。


道中で作者は、鹵獲兵器に不審な物体を認めている。砲弾でも爆弾でもない。連隊の兵技将校もわからない。師団の兵器部長に見てもらうと、一目見て「対戦車ロケット弾の弾丸だ」と回答。曰く


「こっちには戦車がないから心配無用」


敗戦後、警察予備隊に入隊した作者はその物体と再会する。二・三六インチ・ロケット・ランチャーの弾丸だったそうだ。


余談だが、一号作戦時の作者の階級は大尉で、連隊のS-3である。エヴァでいうなら、作戦幕僚に大尉(ミサトさん)をあてるネルフは連隊規模であり、ゲンドウさんは大佐待遇ということになる。


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桂林戦は渡河作戦の話でもある。


作者は渡河作戦に毎回手を焼いていて、『華中作戦』では、渡河に際してあか剤を用いることも検討するが、使用には至らなかった。風向き次第では、こちら側からくしゃみが聞こえてくるから、使い勝手が悪かったらしい。


小津の従軍日記にも渡河らしき場面が出てきて、旧軍には珍しいことに、迫が登場している。これはガス弾投射機の九四式軽迫と思われる。


桂林の渡河は、重火器の支援の元に強行する作戦となり、作者は準備に追われる。配属諸隊の連絡将校や命令受領者が次々に現われ、いちいち各別命令に直して口達し、被配属部隊との連絡法や注意等の細部を指示する。当時コピー機があればどんなに無駄が省けたか、と作者は回想する。


数年前、SPWAWのチュートリアルマップを防衛側でプレイした。戦車を壕に籠もらせ、移動対戦車砲として運用したのだが、FOに見つかり、ヤーボが飛んできた。


わたしはこれを陣地転換の教訓だと解釈した。発見とヤーボの飛来までラグはある。その間に移動したら、運がよければ、ヤーボの飛行経路から外れるかもしれない。


『桂林作戦』には、逆にあえて相手に陣地転換を強いる場面が描かれている。


渡河の支援のため、重機や山砲を対岸の銃眼ひとつひとつに指向させる一方、作者は軍砲兵に対砲兵戦を要請する。陣地変換を余儀なくさせて夜間標定を無効にするためであった。