六平直政 怨念の箱舟 『復讐 運命の訪問者』『マルタイの女』

『運命の訪問者』は異能者の連帯とその芸が継承される物語である。哀川翔六平直政は『CURE』の役所広司萩原聖人の相似である*1


『運命の訪問者』は六平直政の生き様と死に様の物語だ。六平にはモンテーニュが言及するようなローマの偉人の徳がある。恐怖の感情をもたないから決断に躊躇がない。その職人の身のこなしは殺人というよりも屠殺を思わせる。


六平にとどまらず、この話の主要なキャラクターのほとんどがサイコパスである。哀川ですらそうで、彼は自らに眠る異能者の血を恐れるあまり拳銃を持とうとしない。これが六平と感応しあう内に本性に目覚めるのである。それはある種の連帯といってもいい。六平とその仲間たちがたき火を囲んでカップ焼きそばをモリモリと咀嚼する場面がある。仲間のひとりが煙草を手に取ると、六平が火をつける。これがいい。彼らはあくまで同朋なのだ。


サイコではないメインキャラは六平の兄である清水大敬くらいだろう。サイコの視点で話を構成したらそれはサイコとは言えなくなる。したがって清水の視点が要請されるのだ。


視点構成の定石からすれば、清水の初出の場面は異様である。



幼少のころ、哀川は家族を惨殺されている。彼はただ一人の生き残りである。清水と霊安室で対面した哀川は彼が犯人だと気がついてしまう。ところが清水の方も哀川に気づいてしまって驚愕してしまう。哀川が主役であって彼の視点で構成するのならば、清水の視点をここで導入するのは定石外しであり違和感が出てしまう。清水はあくまで観測の対象であって、事態を観測するべきではない。つまり、この物語は清水という普通人がサイコパスたちの様態を観察する記である。そのような宣言が行われているのである。そして清水が抹殺されて普通人の視点が失われ、場面にサイコパスしか登場しなくなると、話が論理的に構成されなくなる。あの最後の海辺だ。哀川と六平が互いを撃ち合う。ともに銃弾に倒れる。その様子には銃火を交えることでしか分かり合えない蛮族の交歓すら感ぜられる。



哀川の銃弾を浴びて六平は断末魔をあげる。同じく銃弾を浴びたはずの哀川は平然としている。彼はいまや不死身である。


六平は哀川にいま自分が経験しつつあることを伝えようとする。


「死ぬのは痛いだけだ」


技術者がカンファレンスで情報を共有するノリである。


六平も哀川も声がいい。道化のような、あるいは少年のような声である。


最後は哀川のモノローグで終わる。


「拳銃は捨てなかった」


語尾が幸福に満ちている。彼は安住の地を見出したのだ。


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六平は同年公開の『マルタイの女』でも奇妙な役をやっている。管理官名古屋章の女房役の刑事であり、情熱家の名古屋に冷や水を浴びせる役柄である。


名古屋はマニュアル本を片手に犯人の洗脳を解こうとする。六平は受験勉強の真似事を嘆き、名古屋の捜査方針に疑問を抱く。ここで名古屋の大演説が始まり、演説の終わりでは六平が名古屋の情熱に押されたような感じになる。


舞台の場面でもこれが再現される。


この場面は、舞台の芝居に対する各キャラクターの反応を見せることで、キャラのパーソナリティの描き分けを行っている。わたしは中でも村田雄浩の反応がすきだ。


開演の前、彼は所轄の刑事たちと警備の打ち合わせをする。所轄の人々の表情が硬く村田と彼らの仲があまり円滑でない印象がよぎる。ところが舞台で西村雅彦の大立ち回りが始まると、彼らは一様に昂奮してしまう。村田と彼らは蛮族の血を共有していて、そこに連帯感を見出すことでわれわれは安心してしまうのである。



名古屋章の反応はどうか。彼は六平と並んで座っていて、お涙頂戴の場面が来るとたやすく頂戴されてしまう。隣席の六平の視線は舞台にはなく、名古屋を気持ち悪そうに眺めている。彼の冷静さは遠心作用となって作品から受け手を遠ざけようとする。しかし大団円になると大感激する名古屋の隣で六平も鬼瓦を綻ばせている。村田雄浩のケースと同様に、六平がようやくよろこんでいるのを観測してわれわれもうれしくなる


『マルタイ』の六平とは何なのか。彼は、特定の場面についていかなる感情を受け手は抱けばよいかその指標なのであり、究極的には語り手である伊丹十三の自意識なのだ。


われわれはここで『運命の訪問者』の正体を知る。『マルタイ』の六平とは伊丹の自意識へと送られた黒沢清の呪いであり、まさに運命の訪問者だったのである。伊丹の自裁はマルタイの公開から三か月後のことである。


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『運命の訪問者』と『マルタイ』から4年後、六平は北野の『BROTHER』で渡哲也組の幹部を演じた。祝いの席で侮辱を受けた大杉漣がその場で腹を切る場面が出てくるのだが、腸をひり出す大杉の隣で六平は平然と咀嚼を続ける。


復讐四部作は初期北野の影響下にある。『BROTHER』のサイコパス六平は大杉漣という黒沢組と北野組を架橋するキャラクターを通じてなされた返歌であり、かくして円環は閉じられたのである。