碇ゲンドウ

わたしは三石琴乃を狂愛するがミサトさんは嫌いなので、彼女に尽くす日向マコトの趣味がわからない。わからないから『新極妻』の本田博太郎のように自分のナイト振りに酔ってると解したくなる。航空戦艦らしい屈折といえばいいか。


旧劇の人類補完計画で媚び媚びなミサトさんに襲われた日向は、おそらく彼女を幻影だと正しく認識している。彼が惚れたのは凛としたミサトさんであって、目前の痴女めいたそれではないのだ。節操のないマヤは痴女めいたリツコでもおおよろこびで受け入れてしまうのだが。


オペふたりがそろって上司に恋するように、作者はセックス抜きに人間関係を考えられない類の人間だ。その最たるが赤木母娘と関係を持つゲンドウである。しかしパワーバランスからいえば最優先で籠絡すべき相手にもかかわらず、ゲンドウはミサトさんには手を出さない。好みの問題なのか。やはりリケジョがいいのか。


ミサトさんは武器を携行している。初号機と弐号機はミサトさん経由でなければ動かないだろうし、新劇では現にそうなる。ゲンドウが動員できるのはMP(諜報課)と零号機である。これでは分が悪い。


ミサトさんに手を出せないのはゲンドウの弱さである。赤木母娘は非武装のリケジョだから手を出せる。綾波は薄弱だから手を出せる。ミサトさん武装しているからこわい。


ゲンドウの弱さは加持と山寺宏一当人に見透かされている。山寺は作者への侮蔑を隠さない。三石にしてもそうだ。「レイ食事にしよう」で鬼面となるリツコは、嫉妬に加えて、ゲンドウにつけ込まれる自分の弱さを自覚し苛立っているのだろう。


ミサトさんも万能ではない。日向は意のままにできてもシンちゃんは微動だにしない。癇癪を起したミサトさんはセクハラ(大人のキス)をやる。作者自身はミサトさんを腹の出た女と評する。


新劇でゲンドウとミサトさんの微妙なパワーバランスを顕在化できたのは作者の成熟の証だろう。だが、アスカの扱いは相変わらず煮え切らない。シンちゃんは作者のダミーに過ぎないので吟味すべきはゲンドウとアスカの関係だが、このふたりは絡まない。あるいは絡ませないのか。


TVではアスカは綾波に嫉妬して、指令への好意に近い感情が婉曲的に示された。新劇はますます態度が不明瞭になり、代わりに出てきたのが「好きだと言ってくれてありがたう」である。いうまでもなくわたしは激昂した。記憶改竄も甚だしい。お前はみやむーに嫌われていたし、今でも嫌われているではないか。


作者を子どものような大人と評するみやむーは大人だ。未成熟だと侮蔑するのだが、それを創造性と関連付けてお茶を濁してくれる。世話焼きコネメガネは自己客観視の厳しさに耐えかねて創造された空想物ではないか。


ミサトさんが嫌いだといっても三石琴乃は好きすぎるわけだから、そこに引きずられるものはあり、特攻寸前に昔の姿に戻ったミサトさんには「ミサトサァァん」と感極まった。『光る君へ』も楽しみだ。