無題

ラジオを流していると、アニメ声が聞えてくる。曲名を求めて目を上げると、Silent Siren - 女子高戦争とある。わたしは頭を抱える。アニメ声だったら何だってよいのだ。わたしの絶望をよそに、曲はサビに入る。



「あのイケメン講師を落としたい♪」



わたしは鼻孔を膨らませながら、ある着想に至った。高校生のギャルゲ主人公に、オッサンが自己投影するのはむつかしい。ところが、プロデューサーさんや提督ならば、これは随分と容易になるのではないか。だとしたら、受け手の高齢化に、業界は対応していたことになる。



曲が終わると、欲望に促されるままクリックするのは、森田童子 - ぼくが君の思い出になってあげよう.mp3。わたしはニンマリとしながら、自分がオッサンであることを享受し始める。オッサンになることは、何も悲惨なことばかりではない。



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解せないことがある。90年代前半、『高校教師』を嬉々として見ていたことをよく覚えているのだが、当時のわたしがアレの何処に嬉々としたのか、これが今では全くわからない。オッサンとなったわたしが、今、アレを見るとしたら、間違いなく真田広之に自己投影して、鼻孔を膨らませるだけ膨らませるだろう。しかし、オッサンからは程遠い当時のわたしは、いったいこの話の何処に、自分を見出していたのだろうか。



わたしはこうして、あの頃のわたしとは別人になったことを知るのである。つまりは、オッサンになったことを知るのだが、別人になったからこそ、昔の自分に伝えることができる。オッサンには叶ったことと、叶わなかったことがあるが、オッサンとなったわたしはつつがなく暮らしている。オッサンになることはおそろしかった。しかし、実際になってみたところ、そこまで悲観するものでもなかった。今、オッサンは君に感謝している。君がこれから成すであろう選択の数々は、決して間違ったものではなかったのだ。