無題

先日、メルヴィル『サムライ』のサントラ盤を購入した。ついでに、その本編をいつ視聴したのか調べたところ、結果は意外だった。



オフラインで詳細な日記をわたしが記すようになったのは、2004年からである。それ以前の記録は、昔のブログに記された断片的な情報から、推測するしかない。幸いなことに、映画に関しては、何月に何を見たかメモが残っていた。日付まではわからないのだが、メモを見返したところ、2002年1月の尻の方に、『サムライ』の名が出ていた。おそらく月末に見たのだろう。これは意外だった。今まで、ゼロ年代の後半に見たものとばかり思っていたからだ。



2002年1月はどんな年だったか。ブログの目次を見ればすぐにわかった。1日元旦、わたしは『ONE』のみさきルートを攻略し、嗚咽している。



わたしのブログに記された日記は、2001年の7月から始まっている。昨年来の修羅場が6月一杯で終わったので、余裕ができたのだった。2000年から01年にかけての出来事もかつて記していたが、これは削除した。Internet Archiveにも残っていない。



日記を見返すと、2001年8月に『痕』をやっている。これには不平を覚えた。



翌9月22日、To Heartのマルチルートで嗚咽



翌10月9日、PS版のマルチルートで嗚咽



翌11月12日 Kanonの真琴ルートで嗚咽



続けてやったのが『AIR』である。もはや人生でこれ以上フィクションから受けることはないであろう衝撃をわたしはそこで被った。しかし、その観鈴ルートで嗚咽した日が、日記からは特定できない。12月から『君が望む永遠』を始めているらしいから、11月の下旬としか言いようがない。記録するには衝撃が大きすぎたのだ。



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この激動の日々と並行して『サムライ』を見ていたとは、わたしには信じがたいことだった。メモの改ざんも疑ったが、しかし何のために?



2002年1月の日記に戻ると、正月明け、わたしは韓国に出張している。この出張自体は覚えているが、時期がみさきルートの直後とは、これもまた意外である。わたしは出張先でやくざ映画を見た。内容はほとんど覚えていない。タイトルもわからない。日式料亭で刺身を食っていた場面が妙に印象に残っている。



その後、もう一度、韓国に渡ったとき映画を見ているが、これはよく覚えて居る。タイトルはYMCA野球団 (邦題:爆烈野球団)である。ソン・ガンホ伊武雅刀が出ているから、忘れようがない。



そして、この年の4月番組が天地無用GXPだった。



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『サムライ』の内容も、覚えていることは少ない。いずれ再見することになるだろう。しかし、同時期にプレイしたギャルゲーの記憶は昨日のことのようだ。90年代半ば、わたしの生活に大きな爪痕を残した新世紀エヴァンゲリオンの影響は、今では何の痕跡もとどめてはいないのだが、ゼロ年代冒頭に出会ったギャルゲヒロインたちは、今もなお、わたしに多大な感化を及ぼしているのだ。彼女たちは、そのどこにもいない場所から、おそらく生涯に渡って、わたしに勇気をもたらすことだろう。