先日、春場所中日の中継で時間係審判の話題が出たのだが

 映像編集に際しては理想の間を追求すべきであるが、同時に商業作品であるから定尺というものがある。たとえば、U局ならば20分40秒。作業が進むにつれて尺は短くなっていく。このペースでやればどのくらい切れるのかすぐに見えてくる。押し気味になり、今の調子で切れば定尺をオーバーすると予想されるなら、編集技師の心理として、どうしても詰め気味にしたくなってしまう。反対にこのペースでやってしまえば尺が足りなくなるとすれば、違和感がない程度ではあるが、控えめに切りたくなる。
 もちろん、小手先のことではどうしようもないほど現状の尺と定尺が解離する場合は、あらかじめシーンを落とすなりなんなりで対応する必要がある。その辺は実写と変わらない。あるいは、尺がとても足りそうもないときは、エンディングを本編返しにして浮いた90秒を本編の尺にあてがう。またはアバンとして前話回想を突っ込むことで、切れる尺をねん出せねばならない。
 いかえれば、演出家が編集をコントロールする際、いちいち後ろから口を出しては煩雑になるので、編集技師のかかる心理を利用する手がある。もし目まぐるしいフィルムを意図するのなら、あらかじめ、それなりに定尺オーバーしたフィルムを編集に突っ込んでやる。ゆっくりとしたフィルムを意図するのなら逆に尺足らずのフィルムを突っ込む。こうなると編集技師は目の色を変えて切れるところ、伸ばせるところを探し始める。他方、編集技師としては尺によって心理が歪むことが分かっているから、物語に相応しい間を産出できるような心理になる尺を事前に所望する。

 日本の商業アニメ編集では、マルチカメラでない以上、カット割りを編集で左右できない。編集点はカット割りに左右される面もある。カット割りが優れていれば誰が編集してもそれなりに見られる。悪ければ、どんなに頑張って編集しても徒労である。では、どうするのか。ここしばらくの課題である。