アイドルを定義できなければ、アイドルにはなり得ない。ではアイドルとは何か。アイドルになるための要件とは何か。本作が援用するのはプラトンの軽侮的な役者観である。何者にもなれる役者は何の専門家でもない。ダニエル・デイ=ルイスがオフで職人仕事に没頭するのは虚業の反動だろう。『トラペジウム』でもアイドルになれるのは作中でもっとも中身のない人物である。ヒロインよりはるかにキャラ立ちしている3人は自分があるがゆえに何者でもないアイドル稼業に耐えられず脱落する。ヒロインの埋没は創作の不手際ではなく、ファンレターやSNSのくだりで可視化されるように語り手には自覚がある。
各人のキャラ立ちは人生の課題を物証としている。「テニスの下手なお蝶婦人」なるパワーワードはその最たるものだろう。黒髪ロングのきな臭さも相当で、どんくさいお嬢とぼっちのロボ子の間で埋没しない。山登りのくだりでヒロインのサイコじみた利己的性格を揶揄するのはたやすいが、物語はNGOに依存する少女の危うさを野生的にかぎつけ、ボランティアを踏み台にする政治的にアレな蛮行をヒロインにやらせている節がある。ヒロインは最初から黒髪のビッチ体質を見抜いているのだ。
果たして、見立て通りに黒髪に交際発覚イベントが勃発すれば、友情ではなく打算でつき合ったと言い放ち、ヒロインはサイコを全開にする。何よりもおそろしいのはこのキャラをヒロインに据えた企画意図である。しかし、このくだりにもホラーだと打ち捨ててはおけない含みがある。
まずこの直前で初めてヒロインの人生的な課題が発見されている。劇中冒頭の段階で彼女は夢破れた境遇にあった。何度もオーディションを受けても道は開けない。ヒロインの魅力のなさはやはり自覚されている。自分を持っているためにキャラが立ちアイドルにふさわしい女たちは、何者でもないアイドルの虚無に飲み込まれ発狂する。何者でもないヒロインにとってはアイドルこそ天職なのだが、何者でもないためにアイドルとしての魅力に欠け、オーディションに受からない。ヒロインがぶつかり物語全体の課題となるのがそのパラドクスである。ヒロインの内面から受け手が拒まれるホラー映画の離人感はパラドクスの現れなのだろう。
パラドクスは窮極的にはフィクションの効用を問うおなじみに課題に帰着している。すなわち、虚業は何の役に立つのか。虚業に狂わないために虚業を恥とせぬ厚顔の人物として造形されたヒロインは、打算以外に人間関係を統べる手立てをもたない。ところが、黒髪を拒んだビジネスライクな人間観こそ黒髪当人をかつて救っていたのだった。
ヒロインとは逆に情でしか人間関係を考えられない黒髪は、それゆえにトラブルにはまり込んでしまった。彼女を救ったのはヒロインの全く異質な人間観である。人生の別の可能性を知り救われた黒髪にとって、ヒロインは規範となった。厚顔によって彼女は自分の知らないところですでに誰かのアイドルになっていたのだった。