韜晦した自意識の中心で父権は孤立する 『僕は友達が少ない』


キャラクターの一貫しない言動は、受け手のいら立ちを誘いかねない。われわれは小鷹を憎む。リア充謳歌するにもかかわらず、殊更にフラストレーションをためてみせるこやつを憎んでしまう。われわれはまた、語り手の自意識もそこで疑っている。あくまで強面の外貌を根拠にして、疎遠な境遇を合理化しようとする語り手の技量を侮っている。しかし、この不自然にこそ意図があり、語り手は受け手の憎悪を密かに誘導している。



語り手の自意識に出会う場面というものがある。『とらドラ』の生徒会長を憎んだとき、われわれはすでに語り手の術中にある。朝礼台から軍隊調の檄を飛ばすこやつを無頼を装うゲスだと解し、その言動を奇人の記号として好意的に扱う語り手の無神経に腹を立てたとき、受け手の憎悪は意図的に誘導されている。およそ1クール後、大河が彼女をゲスだと詰る場面を以て、受け手はようやく、語り手もアレをゲスだと考えていたことを知る。語り手の自意識と出会うのである。



特機隊員に扇情的な格好をさせたり『攻殻』の美術に繁字体を用いることで押井守が人々のPC脳を煽るように、『はがない』は隣人部の人種構成や“ゲルニカちゃん”で語り手の政治的配慮を疑わせ、結果、受け手を油断させてしまう。自意識は、受け手を誘導するために、あえて韜晦せねばならない。





なぜ小鷹には友だちが少なかったのか。すでにわれわれの憎悪の中に、答えはあったというべきだろう。憎悪を誘うから人が寄りつかない。では、われわれはこやつの何に憎悪したのか。物語の冒頭の小鷹は、孤独を嘆く夜空に対し、孤立を忌避する世間の価値感に疑義を表し、彼女に迎合した。ところが、半クール後、人混みで社交不安障害を引き起こし竜宮ランドを後にした夜空に、この男は「まだ変わってないのか」と嘆く。



一貫しない造形は確かにいら立ちを誘うが、語り手の誘導は別にしても、一貫性に欠ける言動が受け手にとって積極的な危害になるとも思われない。教室でモンハンに勤しむ享楽的なクラスメイトたちが知覚し恐れ、結果的に小鷹をハブることになったのは、むしろあの嘆きからうかがえる干渉癖だろう。



小鷹の干渉癖は、その受容のされ方次第で、さまざまなキャラクターの造形を表現してゆく。クラスメイトの反応を介せば、同調圧力への抗議がやがて同調圧力そのものへと変貌する様を語り、理科の爆発という形で現れる語り手の自意識を準備する。一方で、こやつへ向けられる星奈の好意に目を向けたとき、それは彼女の造形の高まりと一貫性を担保する。成績優秀、スポーツ万能、暗愚、泣きゲーマー等々、調和するとは思えない性格群は、小鷹を受け入れた受容性によって整合化され、女を聖化する。情報の受容が素直だから、学習効率が高く、泣きゲーに転がされ、夜空に騙される、という世界観がある。「包容を聖化する」という自意識のゲームが新たに派生するにしてもだ。





オープニング冒頭で隣人部の扉を開いたカメラは、室内でポージングする部員たちを収める。そこでひとり奇妙な表情を浮かべる人物が目を引く。笑みを湛えた理科の眉は、しかし逆八の字に上がっている。当初はドヤ顔という演出意図だったらしいが、そこに生じた新たな含意を、今のわれわれは知っている。彼女は憤怒の表情を浮かべていたのである。