到達された邪念・新幹線大爆破のキリスト 『予告犯』


犯行の動機に委細な社会性を与えてしまうと、創作の観点からすれば不都合な事態が時として訪れる。社会的背景はマクロ経済政策の如何を否応なく意識させるため、犯人の不遇は、経済政策によって緩和され得るようなテクニカルな問題に還元されてしまう。工学的に救い得るのなら、フィクションには適さない話題となるだろう。


『予告犯』も、時事ネタ依存の動機に生じる問題について自覚があるように見える。生田斗真らが行う社会的制裁は不毛だ。制裁対象者の多くもまた弱者であり、弱者と弱者が潰し合っている。事がマクロ経済政策の問題ならば、小日向のケースに活路を見いだすべきだが、特に深く追及されずに終わってしまう。ただ、語り手は制裁の不毛さにあくまで自覚的で、一連の制裁は本来の目的の手段であり、本当の動機を隠すための誤誘導だとされる。もっとも、手段に貶められるからこそ、かえって弱者が潰し合う後味の悪さは増幅されかねない。


本来の目的とされるものについても疑念がある。それは『ゴールデンスランバー』から継承されている主題で、血縁に依存しないような近代的な信頼が生じる過程を扱っている。『スランバー』では、行政への反発を契機として信頼が生じているのだが、そこには同時に物語が解決すべき矛盾も現れていて、血縁に依存しない信頼を可能にしたのは実のところ行政の浸透にほかならない。『スランバー』は、信頼の匿名性へ主人公を埋没させることを矛盾の贖いとし、物語の筋を通している。


『予告犯』は信頼の生成を「信頼が生じた」と言葉で説明しがちだ。『スランバー』の堺雅人にとって事件は緊急性を帯びていて、彼は常に行動を迫られていた。行動を以て主題を表現するしかなかった。対して、生田にとって事件はすでに終わったことで後始末に過ぎない。彼は死者の利益を図るために動いているが、そこには嘘がある。死者にとっては、すでに死んでいる以上、利益もクソもない。あくまで彼は生存者である自分の利益のために動いている。それは何か。


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ゴールデンスランバー』と同様に、『予告犯』も解決すべき矛盾を負っている。生田斗真が社会的不遇を託つというのは、いかにも説得力がない。生田に生まれ落ちた時点で勝ち組も甚だしいのだ。話の前提を台無しにする生田のイケメン性についても、やはり語り手は気になっているようで、彼が正体を明かす動画には、「意外とイケメン」という字幕が流れてくる。ところが、社会的なリアリズムを損壊してしまうそのイケメン性が、創作的に考えると、一転して正しいものとして見えてくる。冒頭で述べたように、動機のリアリズムは事件をテクニカルな問題へ還元しがちだ。それはフィクションにふさわしくない。むしろ、技術では解決しえない、ある種の宿命性へ事件を誘導したくなる。


『予告犯』は犯行の目的について偽装を重ねてきた。社会的制裁は死者の利益を代弁するものとされた。ところが、その背後にはさらに動機が潜んでいる。それは死者をオカズにしたナルシシズムであり、かつ、その裏返しとしての女性嫌悪である。生田を追う戸田恵梨香がなぜあれほど高慢に造形されていたのか。その謎が解けてくるのであり、また設定の足を引っ張っていた生田のイケメン性がそこで活かされるのである。生田の男振りが戸田を最後にたらし込んでしまうのだ。


腎臓を売って死んだ友人は、父親を探すためにフィリピンからやって来ていた。友人の死後、生田らが彼の父親探しに奔走するのは美談である。しかし、そのためにテロリズムが引き起こされるのは飛躍であり、嘘がある。派遣社員が東大文一のエリート女の高慢な鼻をへし折るのは邪念である。しかし、邪念だからこそ、この欲望の本当らしさは否定しようがない。事件は男女の性の話題へと普遍化されることで、尤もらしさに到達したのである。


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個人的な貧困を託つ負け犬をテロリズムの主犯に持ってくるのはむつかしい。そんな行動力があるのなら、そもそもかかる境遇に陥ることはなさそうだ。『予告犯』にもこの手の飛躍は否めない。派遣社員の生田とテロリスト生田の間に人格の一貫性は見出し難い。飛躍を埋めるためには、そこから目を逸らさせる何かが必要だ。



新幹線大爆破』のヒロシ(織田あきら)はキリスト的である。物語の原罪がヒロシの身辺に集約されて現れてくる。ヒロシは沖縄から集団就職でやってきた。勤めた会社は潰れ、職を転々とする。どれも長続きしない。高倉健売血で行き倒れたヒロシを拾うが、彼の工場も半年で潰れてしまう。不幸を背負うだけではなく、ヒロシはそれを次々と伝播させてしまうのだ。


高倉の家計を助けるべくドカタとなったヒロシに建材が直撃する場面はすばらしい。あの建材は物語の原罪を可視化している。物語の原罪とは、佐藤純弥の散漫な集中力にほかならない。


ヒロシの負傷は、新幹線乗っ取りを高倉に計画させる契機となるのだが、ヒロシの負傷の報復と新幹線の爆破は、やはりつながりが見えにくい。乗っ取りは高倉にとっては手段に過ぎないのである。彼の本当の目的は、物語の原罪たる佐藤純弥の散漫な集中力を新幹線の乗っ取りを通じて伝播させることにある。その帰結であり極限にあるのが、図面が預けられた新橋4丁目の喫茶店、サンプラザの炎上なのである。