『クレヨンしんちゃん ガチンコ! 逆襲のロボとーちゃん』(2014)

 理念を優先すれば筋が停滞しかねない。受け手の興味を惹くイベントが進行した結果、父権の凋落が明らかになるのではなく、凋落する父権を語るために資源が動員されている。この悪手はモチーフの構成にとどまらず、キャラクターの性格描画に費やされる場面までも本筋に組み込まれず独立している。冒頭30分が理念と性格の説明に費やされ筋がない。話の行く末が解らない。
 寝ている隙にロボに改造されるひろしの件でようやくこの停滞が終わる。劇中の人物たちに明瞭な課題が与えられるのだが、冒頭であれほど強調された父権の問題が代わりにブレてしまう。父権の凋落というよりもひろし自身のID問題が俎上に載るのである。ロボであるひろしを常識人であるみさえが拒絶するのだ。しかしひろしのID問題も扮装すれば身バレしない軽さであり、一端は収束してしまう。
 そもそも騒動の黒幕の造形に瑕疵がある。事件の発端は黒幕たる人物の父権が家族に蔑にされたことにある。だが父権恢復運動を組織してひろしを改造する技術力を有する人物の甲斐性がなぜ父権を喪失せねばならなかったのか。このつながりが見えにくい。
 仕方なく、物語は再度ひろしのID問題へ傾斜していく。アジトの深奥でロボひろし一行は昏睡する生身のひろしを発見する。ひろしが生身とメカとに分岐してイーガンをやり始めるのだが、記憶の分岐はID問題になりそうでならない。
 生身のひろしは分岐以降の記憶を持たない。メカのひろしは分岐以降の記憶も持っている。記憶の継続が人格の一貫性を担保するのであるなら、記憶が異なれば、かつて記憶を共有しようとも、もはや別の人間でありID問題は生じない。イーガンが分岐の瞬間にどちらかの分岐を抹消しようと試みるのは、彼がこの問題を把握している証左となるだろう。
 では、父権でもなくID問題ですらもないとすれば、本作は何を課題とするのか。
 黒幕との戦いで破壊寸前となったロボひろしは最後に生身ひろしと腕相撲を試みる。どちらが本当の父親か腕相撲の勝敗で決めようとする。勝負の最中、みさえは「がんばってあなた」と声を上げてしまう。
 この「あなた」とはどちらを指すのか。みさえの視線がはっきりと指示されないバストショットのために解釈の余地が残る。むしろ明確であってはならないだろう。もし「あなた」がどちらかを指すのであれば、みさえが冷酷な女になってしまう。
 みさえの意図に留保がかかる以上、むしろ受け取る側の解釈が問題となる。「あなた」とは自分なのかどうか。そう問われることで自分のIDへの確信が試される。ロボひろしはみさえから発せられた「あなた」を自分ではないと解してしまい敗北するのである。
 自分が分岐して、その分岐した自分が選ばれず本線とはならなかった。イーガンのID問題が失恋というかたちで達成されたのだ。