浄化の対象ではなくむしろ手段だった話 『おしん青春編』

 第70回前後でおしんは田倉羅紗店に嫁ぐ。番頭格の源右衛門に取り入ろうと彼女は奮闘するが拒まれる。源右衛門は不満である。小作の娘では田倉の家と釣り合わない。
 おしんと源右衛門の件の顛末は、水戸黄門の印籠のごとく予め受け手には判然としている。おしんの超人のような人柄と能力の前に老人を屈服させて溜飲を下げる趣向である。しかし今回は、かかる様式美を受け手に期待させてしまうことで、予断の醸成がおこなわれている。期待通りのことは確かに起こるのだが、印籠は手段であって受け手には期待されていない目的が密かに設定されていたのである。
 青春編のおしんはすでに超人である。料理洗濯はいうまでもなく、字も達者でお茶お華も出来て計数の才もある。先回ふれたように受け手が自分を見出せる余地が狭まっている。
 源右衛門回では、おしんが幸福になって受け手の浄化が達成されるルーティンが展開されながら、同時におしんは、より受け手が移入できるキャラクターの隠された人格を発見するためのツールにもなる。彼女は源右衛門を発見するのだ。
 冒頭から見ていこう。
 田倉に越してきたおしんは初日から家事の技量を余すことなく発揮する。しかしゲンエモンの反応は鈍い。むしろ戸惑うばかりである。彼が反応してしまうのはおしんの計数的な側面である。おしんが算盤のできることを知ったゲンエモンは彼女に帳簿を任せてしまう。機能性が身分を超えて人を結びつける、本作の近代化のモチーフが爆発するのだが、受け手はここですでにゲンエモンを発見したこととなる。
 夫の竜三はおしんの経営参画に反対する。おしんにヘマをさせたいゲンエモンの陰謀だと彼は解するとともに、女性の社会進出に保守的な見解を披露する。依怙地なゲンエモンの方にリベラルな面があったと判明するとともに、この老人は想定外のものを獲得してしまう。
 帳簿を見たおしんは田倉の経営状態を察知する。売掛金の回収が碌にできてないとゲンエモンに訴える。ゲンエモンはむろん承知している。竜三が脳筋の営業莫迦なために問題は放置されているのである。経営情報の共有によって老人は初めて仲間を見出すのだ。
 以上の段階を踏んで、橋田壽賀子のローラーコースターは絶頂に達する。
 ゲンエモンはおしんの行状を認め、佐賀の大旦那北村和夫に書状を送る。これに応じて北村が上京してくる。脳筋の夫竜三はゲンエモンが罵詈雑言を大旦那に送ったと思い込みそのつもりで大旦那に対応するが、この竜三の莫迦北村和夫が爆発して待ちに待った印籠が到来する。ゲンエモンが手紙の中でどんなにおしんを褒めていたか、北村が得々と脳筋竜三を説く。が、ここで事態が斜め上になる。褒めすぎなのである。
 ゲンエモンは計数の才に動じていたのであって、家事には動じなかった。ところが、これが誤誘導だったと判明する。
 ゲンエモンは涕泣する。
 食事のとき、ゲンエモンは使用人の分限を守って食卓を別にする。おしんは食事を共にしようと誘う。ゲンエモンを竜三の父親のように考えていると彼女は言う。
 おしんのこの好意は如何にも超人の彼女らしい受け手には馴染な態度なので特に感慨は残らない。ゲンエモンも謝絶するばかりであった。
 しかし実のところ、ゲンエモンにはおしんの好意がもっとも効いていたのだった。
 「こんなやさしい人はいない」
 われわれは、この老人がどれだけ人のやさしさに飢えていたのか、どれだけ孤独であったのか発見するのである。

 前週はおしん伊東四朗が上京してきた。仕送りの催促である。
 この回は、おしんとゲンエモン邂逅のタメになっていて、伊東四朗のあまりの悪辣ぶりに、よく放映当時伊東は刺されなかったなとわたしは激昂を覚えたのだが、今週はおしんの嫁入りと並行して伊東は肝硬変で死亡。その寸前に帰郷したおしんと和解する。彼は上京時の不祥事を悔やみおしんの結婚を誰よりもよろこび、またしても壽賀子ローラーコースターは絶頂に達する。あとは落ちるばかりである。関東大震災が彼らを押しつぶすのだ。