ヤスミナ・カドラ 『テロル』

テロル (ハヤカワepiブック・プラネット) 賭け金を上げ過ぎた話であった。賭け金が上がる、つまり謎が深まればそれだけ受け手は惹かれる。しかし深まるだけ謎の解明に対する受け手の期待が膨らみ、風呂敷たたみのハードルが上がってしまう。
 男はベドウィン系のイスラエル人である。医師として社会的に成功した愛妻家である。その、絵にかいたような貞淑な妻が自爆テロを起こす。夫には妻がわからなくなる。
 妻は社会時評をやるタイプではない。宗教的情熱も人並みである。自爆寸前まで夫の眼には平静そのもので、自爆の動機が見当たらない。
 ということで、妻を解明する旅が始まる。どんなオチを持ってくるのか職人の腕を見せてもらおうとワクワクするのである。とうぜん、受け手に予想されるオチを越えねばならぬ。実は妻は原理主義者で不満タラタラであり、鈍い夫にはまるでわからなかったような、夫の安寧な立場を批判するようなオチなどは、予想可能すぎてもってのほかである。わたし的に期待されるのは、夫を想う貞淑な心理状態と自爆が一個人の中で両立するとはいかなるステイタスなのか、である。
 オチは悲酸であった。実は原理主義者だったが、鈍い夫は気づけなかったのだった。散々期待させておいてこれだから激昂を覚えるのだが、しかし、多少の付加価値がないこともない。
 夫の回想の中で登場する妻はマンガのように理想化されるばかりで大した実体がなかった。あんな死に方だからロマンティサイズされたのだろうと、受け手としては合理化したくなるのだが、夫がパレスチナで聞き込みをやる過程で次第に受け手にわかってくる。マンガのような妻の造形は理想化ではなく、どうやらガチの聖女であったらしい。要は彼女は一種のサイコであり、ゆえに貞淑と自爆が両立して夫が見抜けなかった、と不満は残るものの、何となく風呂敷は畳まれたのである。