『ジェイルバード』

応報の教育的感化が先にあって、救われるという情報が倒述的に公開されても問題はない。というより、感化へ興味を向ける点で、むしろ公開せねばならないのかもしれない。



救済の仕込みと発火の時間差が小さくて、まさかアレが仕掛け花火だった的な、因果の案外な距離感で魅せるような話ではない。具体的な発端が後ろになる以上、救済の詳細な方法への興味が強い牽引になることもない。あくまで、集中力に欠ける与太話のゆるやかなガイドとして用いられているようだ。