ナルゴコロ 炎上する照葉樹林 ―― ドーラの夫と『豚』から『もののけ』へ

設定の上でしか存在しないドーラの亡き夫は実に美味しいポジションに据えられていて、『ラピュタ』における髭メガネの分身と言ってよいくらいだ。ドーラというあれほど素晴らしい女をたらし込んだあげく、さらわれたのである。いったいどんな天使だったのかと、髭メガネのナルゴコロを心地よく刺戟してくれたことだろう。故人という設定がナルシシズムの隠れ蓑になり、かつドーラ一家を支えるタイガーモスやフラップターの発明者として遍く影響を及ぼせるのである。ところが『豚』ではこのナルゴコロが全く隠されず、キモイキモイと糾弾される様となった。さすがに恥ずかしいのか自分を豚に戯画化して容赦なくキモイ。鳩にパズーを襲わせるという「動物に好かれる」アピールで女子の警戒を解いたあの老練な手管はどこへ行ったのか。



もののけ』を経過してみると、けっきょく『豚』は踏み台だったと言えそうだ。アシタカ=髭メガネのモテ振りには歯が浮いた。けれども森繁をタタリガミにして触手プレイにまで達すると、ここまで来たかと畏怖に震えてしまう。



「ニンゲンは許さない。髭メガネはスキだ」―― 当時これに直面したときはオチがねえと憤激したが、今では感動している。『豚』の時とは違い、髭メガネは何の取り繕いもせずに欲望を丸出しにしている。それがうれしいのである。あの話を支えているのは、抽象的な中世観ではなく髭メガネの図解ライブラリ的なフェチであり、かつ痛切な性衝動なのだ。