現場の馬鹿力

米と開戦せずに蘭印を攻略する英米分離論の可否について、米側はどう考えていたのか。マーシャルがルーズベルトに提出した勧告案には、英蘭領への攻撃には参戦で対応すべきとある。他方、スチムソンは真珠湾当日の日記で次のように述べている。英領を日本が攻撃した場合、参戦すべきだと自分・ハル・ノックスは考えていたが、ハワイが攻撃された今となっては未決定が終了し安堵した。つまり参戦はすべきだが実際できるかどうか不安だったと解せる。1940年の後半、リチャードソンと会談したルーズベルト当人も参戦について確たることが言えない。曰く、マレー、蘭印、仏印、比島が攻撃されても、参戦は不明瞭である。議会の承認がどうなるかわかならない。


当事者にすらわからないから、日本側に米介入の可否などわかるわけもなく、ならば参戦という最悪の想定で動くのも一つの合理性だが、事が事だけに英米分離が可能だったと仮想すれば対米開戦は後悔が大きすぎる。英蘭の分離は可能と1940年の段階では田中新一は考えている。そもそも選挙公約を読めば英米分離論を前提とする方が自然である。英米不可分が当然視されたとなれば説明が要る。


1940年10月末、軍令部のカウンターパートと懇談した田中は、海軍の想定は英米分離不能という感触を得る。同年11月、蘭印攻略の図上演習を催した山本は英米参戦必至と確信する。彼の送った書簡には必至の理由は記されない。根拠は山本の心中にしかないから敢えて説明しようとすれば文学となり実証しようがない。


誰が太平洋戦争を始めたのか (ちくま文庫)ハワイへの航空攻撃に技術的な保証を与えたのは1940年4月の海軍合同訓練だった。これ以降、ハワイ作戦で山本の頭は一杯となり軍令部にプレゼンをかける。山本はテクノクラートである。彼は子分を作らないし次官就任には気落ちする。政治に対して技術屋的潔癖があり、軍政家である田中とは正反対である。その田中が英米分離を想定出来て山本にはできない。別宮(2008)は山本の技術屋的性格に言及して技術者の悪癖が出たとする。道具があれば使わずにはいられない。ハワイを攻撃せずにはいられない。


これは文学である。妥当するとしても遠因のひとつと取っておくのが無難だろう。しかし、政治を行政化したいテクノクラートの性向は認められてよい。


ハワイ作戦は海軍という行政組織の中で完結する外交解決手段である。海軍だけで自己完結するので政治的駆け引きは不要になり、米参戦の不確実さが予見可能な技術的課題に収束する。自らが参戦を引き起こすから予見可能になるのだ。行政にとって心安いから、あるいは行政が政治の予見不能性に耐えられないから手段が選ばれるのなら、技術屋の現場主義に政治的選択が引きずられたことになる。


技術屋が他部門との交渉を厭うあまり、現場だけで問題に対応する事例はおなじみだろう。わたしも日々これに加担している。行政を政治化してしまう事例が池井戸小説とすれば、政治の行政化の行き着く果てにあるのがサードインパクトになるだろう。