2017-01-01から1年間の記事一覧

恋と技術の無差別付託 『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』

バーナード・ローズの格調のない演出に戸惑ってしまった。ジャレッド・ハリスの懇々たる説得が始まると劇伴が盛り上がってきてキャラクターの感情を説明する。ロンドンに行けば霧、紅茶と紋きり感甚だしき記号がヒューモアを醸す。乳繰り合いが始まるとやっ…

全性愛の陽のもとに 『望郷』

『将軍たちの夜』を連想したのだった。『将軍たちの夜』でピーター・オトゥールの猟奇殺人を追うのはオマー・シャリフである。『望郷』でジャン・ギャバンを追っているスリマン(リュカ・グリドゥ)は現地人の扮装をしている。どちらも捜査官が中東系かそれ…

認知障害ノスタルジー 『KANO 1931海の向こうの甲子園』

怪作である。何もないのである。廃部や廃校の危機ではない。夢破れたオッサンが才能ある若者を見出すのでもない。凡人で終わりたくない若者の焦燥でもない。貧困からの脱出ではない。荒廃した地域に希望を与えるでもない。虐げられた民族の恨み節でもない。…

幻想のナルシシズム 『捨てがたき人々』

南洋幻想である。弁当屋の店員から商店街のモブに至るまで、容姿に水商売的不自然さがある。ただ理念優先の話らしく、南洋の割には美術が乾いていて生活感がない。いくら時間が経っても南朋の住まいが汚部屋にならず、歳月の経過がわからない。 中盤の田口ト…

みじめさを抱きしめて 『フレンチアルプスで起きたこと』

ここで描画される雄の危機、つまり男としての自信の喪失には解釈の余地がある。標準的な教科書の見解に基づけば、雄の逃走は勇敢さの強度とは関連がない。単に勇敢さを振るう状況ではなかったのである。 雌には雄にない確証がある。夫は不明であっても、子ど…

みんな堕落した 『監視者たち』

香港版にせよこちらのリメイクにせよ、いずれもアイドル映画に他ならない。しかし、あるいはだからこそ、香港版ではケイト・ツイがアイドルだと劇中ではとられないように配慮されている。対して韓国版はアイドル映画であることにずっと開放的な態度をとる。…

男たちのタイタニック 『海にかかる霧』

オッサンの博覧会であって生態観察である。物語が準拠するのはオッサンには内面がないと想定する行動主義である。キャラクターに内省の営みがないことは、物語の行方に矛盾した展望をもたらす。性衝動以外に動因のないオッサンを統制するものはなく、行動は…

性愛を超えた連帯 『イット・フォローズ』

美女が感染して物語の課題の担い手となっても共感を呼び難いのである。美女の視点から物語を切り取られても状況を理解しようがない。われわれ物語の受け手が美女ではないからである。事件が惹起すべき、その人の性質に因るような課題が美女には生得的に欠け…

自意識と英雄譚 『アイアムアヒーロー』

マンガが最高という咆哮からわかるように、常に業界人の自意識が滞留している。課題は雄らしさという性愛にまつわるものだが、片瀬那奈とすでに家庭が営まれている設定がその課題を弱くしている。猟銃というのも造形に合わないから唐突の感があり、自意識が…

離断なき絆 『君が生きた証』

劇中の人物の行動に不審がある。これが合理化されるのは受け手にとってたいへんなよろこびだ。しかし事情が明らかになっても、受け手がそれまでに不審を覚え続けたという事実と経験は変わらない。すでに過ぎ去ったことなので、取り返しのつきようがない。し…

同時多発通過儀礼 『天空の蜂』

本作('15)と『BRAVE HEARTS 海猿』('12)と『シン・ゴジラ』('16)を震災トリロジーと呼んでいいだろう。ともに震災に感化された公務員賛歌である。他方で、全くの偶然ながらこれらの間には『新幹線大爆破』の影が見え隠れする。 『海猿』と『天空の蜂』はパニ…