村上篤直『評伝 小室直樹』

 10歳の春。就寝中のわたしは死の恐怖に打ちのめされた。狼狽して廊下に飛び出たわたしに安らぎを与えたのは、そこにいた父の姿であった。わたしよりもよほど死期が近いはずの父が平然としている。その様子を見て安らいだのであった。
 それから20年経ち、父は鬱病に罹患し、やがて漢籍に帰依するようになった。しかしそれは彼に安らぎをもたらさない。
 例外の人々もいるが、寄る辺がなければ人は人でいられない。しかも社会的に構成されねば寄る辺は実効的とならない。皆が信じるものを信じねば安らぎは生じない。いくら父が論語を読んでも、他者の信奉がなければ効果がない。


評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう 小室直樹の世界観では、敗戦によって日本語圏は社会的に構成された寄る辺を喪失したとされる。敗戦のアノミーは、人によって度合いは異なるものの、日本語話者にストレスを強いてきた。ある人は自決しある人は飲酒した。小室の場合、アノミーは飲酒という形で現れた。
 昭和63年の暮れ、山の上ホテルで小室は談志と対談した。大いに酩酊したふたりがロビーで始めたのが旧軍歩兵ごっこである。
 放歌する小室を談志が叱る。
 「こら、小室!歌詞が違っとるぞ、小室二等兵
 「はい!」
 小室が談志に命令する。
 「お前は傷病兵だから、背中におぶされ」
 談志を背負った小室は放歌しながらロビーを徘徊し、ときおり談志を降ろしては絶叫する。
天皇陛下万歳ーッ!」
 敗戦に際しても小室はそれを棄教しなかったが、すでに社会的構成を欠いているエートスは記憶のなかにしかない。小室は思い出をトレスして社会的な死者と同化して、一時的な恢復を試みる。

 この働きは小室とは立場の異なる水木しげるも『聖ジョージ岬』で言及している。

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 そこでは社会的死者への移入は死者一般への連帯に発展して、悲酸にもかかわらず不可解な安息が漏らされてしまう。それは10歳のわたしがあの廊下でみた父の姿である。この人も俺もみんなもいずれ死ぬ。みな輩なのだ。