2019-01-01から1年間の記事一覧

『財閥銀行』クローンゲーム開発始末記

『財閥銀行』とは明治から平成の首都圏を舞台にした経営シムである。1992年にメディアファクトリーから発売された。斎藤由多加作である。 実家にいる頃は愛機98FAで、上京後はエミュレーターで楽しんできた本作であったが、かねがね不満も抱いてきた。 いち…

『人生劇場 飛車角と吉良常』

藤純子がおもしろい。 追われ身の鶴田浩二は潜伏先で藤としけ込んでいる。その際、鶴田に向かって展開される藤の品の作り様がコミカルなほど過剰なのだ。 例によって鶴田のナルシシズムの反映である。 ところがこの後、鶴田が懲役へいくと、藤の媚は男のナル…

ラブソング探して

学生のころ阿佐ヶ谷に引っ越して7年ほど住んだ。就職後は5年ほど、阿佐ヶ谷から中村橋の勤務先まで中杉通りに沿った裏道を徒歩で通った。自転車ではないのは健康狂だからだ 何もかもがなつかしい。 これもずいぶん前の話になるが、ある日、懐旧でメソメソし…

ウンベルト・エーコ 『フーコーの振り子』

陰謀説を肯定する態度は揶揄の対象になる。かといって、陰謀論者を揶揄して蒙を啓くだけでは一般文芸の水準を満たせない。陰謀に揶揄以外の態度を示しても啓蒙が損なわれない、あるいはかえって啓蒙に至ってしまう事態を案出せねばならない。 カゾボンはミラ…

『男はつらいよ 望郷篇』

『ちはやふる結び』で叫び声を上げた場面があった。千早が新に告られる。千早が好きで好きでたまらない太一はそれを知って突如退部。太一の気持ちを全く察しない千早は退部の理由がわからず、なぜやめるのかと線路脇で太一を問い詰める。わたしは激昂した。…

上方落語『浮世床』

『トンデモ本の世界』で村上龍一の語呂本が批評されたことがあった。後に村上から自著を献本された山本弘は献辞の内容から村上がどうやら確信犯らしいと察する。しかし、どうやらも何も、村上の語呂本は誰が見てもふざけている代物であって、むしろ村上を本…

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』

体育会系を媒体にして文系賛歌の調べを奏するのは常套としても、クリストファー・マッカリーの文系世界ともなると、その媒介の意匠に捻りが出てくる。 アステアのミュージカルのように文系に身をやつす体育会系が爆発するだけでは、『ユージュアル・サスペク…

何処にもない国

見せたいものを見せるのは野暮である。 『コクリコ坂から』の冒頭でメルは炊飯をすべくコンロを点火する。この一連の芝居の一々が、押井守のガンアクションのように、カットを割って叙述される。 マッチを取り出す。 マッチを点火する。 コンロを点火する。 …

先日、春場所中日の中継で時間係審判の話題が出たのだが

映像編集に際しては理想の間を追求すべきであるが、同時に商業作品であるから定尺というものがある。たとえば、U局ならば20分40秒。作業が進むにつれて尺は短くなっていく。このペースでやればどのくらい切れるのかすぐに見えてくる。押し気味になり、今の調…

Chekhov, A. (1887). Expensive Lessons

学位論文のリサーチのために仏語を習得することになった男は家庭教師の求人を出す。やってきたのは若いフランス娘であった。男は舞い上がるのだが、受け手であるわたしの顔は歪む。また千年一日のごとく美人に男が翻弄される物語が始まるのだ。と、それはそ…

『恋は雨上がりのように』

何たる破廉恥。何たる邪念の迸りか。こう思わされた時点で敗北なのである。不自然には罠があり、むしろ語り手は受け手がそう思うよう誘導している。しかし、これは条件反射しても仕方がない代物ではないか。 徐々にオッサンの魅力が開示されていく語り口では…

ジョン・スコルジー 『レッドスーツ』

冒頭から始まる劇中劇はつらい。あえて表現の水準を下げるのが劇中劇の作法である。通俗的な偶然が頻発して実に面白くない。 『ミッドナイトクロス』や『カメ止め』冒頭の耐え難さを想起したい。冒頭から始まるのはそれが劇中劇と知ってほしくないからだ。劇…

トロッコ問題再考

人は悲劇に慣れてしまう。あるいは麻痺してしまう。人死にが1名出たら不快である。1人が2人になればますます不快であるが、不快の増大量は逓減するように思われる。0名から1名の人死にが生じた際に増大する不快量の方が、1名から2名に追加されて増大する不快…

『東條内閣総理大臣機密記録 東條英機大将言行録』

Darkest Hour には車を降りたチャーチルが単身で地下鉄に乗って民情視察をやる場面がある。これは虚構なのだが、東條英機(以下ヒデキ)は実際に同じことをやっている。昭和19年4月30日。この日は日曜で玉川の私邸から官邸へ向かっていたヒデキは洗足で車を…

『ふがいない僕は空を見た』

『芋たこなんきん』の正気ではないキャスティングをわたしは思い出すのだ。徳永家の茶の間で國村隼の隣に田畑智子が妹として鎮座して微笑を湛えている。それは兄妹にはとても見えないはずなのだが、智子の童顔には人の錯視を誘いかねない、腐った果実のよう…

答え合わせ

ベン・アフレックは『アルゴ』で河原者の負い目に言及している。アラン・アーキンの扮する映画監督は娘と疎遠である。なぜと問われると彼は自嘲する。 「嘘で塗り固まった人生だからさ」 虚業の負い目が家庭問題として具現化することで当人を動機付ける。 ベ…

どうして宮﨑あおいはあんなに女好きなのに、きれいな男の写真ばかり集めているのだ?

役所広司とともにエアコンのフィルターを掃除乃至交換している夢を見た。 脚立に登って作業している役所は下でそれを見守るわたしに尋ねてきた。 「どうして宮﨑あおいはあんなに女好きなのに、きれいな男の写真ばかり集めているのだ?」 わたしは内心でこの…

ラヴィ・ティドハー 『完璧な夏の日』

劇中で人が人に恋をする。この際、劇中人物とともに受け手も相手に恋をせねば、展開されるイベントを自分のものとして受け取れなくなる。男を惹きつけた女の属性は受け手をも惹きつけねばらならない。このことは究極的には次なる問いを呼ぶ。何を以てしたら…

聖なる愚者

『哭きの竜』の終盤は、『ゴルギアス』のような苦悶するハイモラルの物語だ。三下に過ぎなかった三上信也は急逝したトップの替え玉に祭り上げられる。彼は正体を知る幹部たちの口を次々と封じ本人に成りすまそうとするが、その過程で心身を失調する。不当な…

第13話 「灯台」『やがて君になる』

水族館で燈子が侑の姿を見失う件がある。カットは燈子の遠景となり、辺りに侑の姿は見当たらない。燈子は侑を探すのだが、続くカットで不可思議なことが起こる。燈子の手が接写されると、今まで姿の見えなかった侑の手が IN して握ってくるのだ。彼女は何処…