2008-01-01から1年間の記事一覧

ジッド 『狭き門』 La Porte étroite [1909]

/ ̄ ̄\ / _ノ \ | ( ●)(●) . | (__人__) 母親のトラウマだけでは実用的な根拠に欠けがちな | ` ⌒´ノ 幸福の貧乏性も、乏しいからこそ、禅問答モードが . | } 可解性に対抗できる、という面もある。 . ヽ } ヽ ノ \ / く \ \ | \ \ \ | |ヽ、…

不自由が倫理的な根拠を与える『君が望む永遠』

水月との同棲が孝之の背徳感を煽っても、プレイヤーであるわれわれに及ぼす効果は少ない。なぜなら、遙を捨てる決定はわれわれの与り知らぬところでライターにより恣意的になされたからだ。つまり、われわれにとってみれば責任の根拠に欠ける。しかし他方で…

萌え絵の練習

小林源文的な解

戦車大隊の本部中隊などをお話に使えば、個別のドンパチが戦術的な見通しと効率的に併走できる。情報将校や当直将校が大隊長車の砲手だったり装填手だったりするからだ。

パーティクルプレイグラウンドの練習

日記

パーティクルの勉強をしていたら頭が痛くなった。

サリンジャー 『コネティカットのひょこひょこおじさん』Uncle Wiggily in Connecticut [1948]

知性に関して生理学的な用意がないとしても、文芸的な技芸として、造形の機械的信頼性を損なわない限りで、何らかの起源は検出されるべきだ。逆にいえば、生活の問題について可視的な充実は必要だが、そこに意味を見いだせるようでは悲劇に至らない。イベン…

80年代の香港映画 バッドエンドまとめ

サリンジャー 『バナナフィッシュにはもってこいの日』 A Perfect Day for Bananafish [1948]

イベントの分布が違和感のある広がりを保ちながら、そのベタな帰結ゆえに、自らを巻き上げ身を隠さねばならないこと。規則性に癒着しない生活情報の容量が、そこに呼応する自然な曲折をプロットに作り出すこと。構造の密度は、少女と会話が成立するような偶…

けっきょくスピルバーグのオマハ海岸的境地というやつで、題材をいいことにやりたい放題なだけかも知れん。

PICA-DON

絵本の方を見て、すげえスリラーだなと感心したのだが、ようやくアニメを観られた。路面電車を破壊する場面で「熱線→衝撃波→テンパる」の段取りがロングのワンカットにまとめられていて映像がおもしろい……が、遠近法をぶちこわしながら客がこちらに向かって…

メモ

既視感の対象に予定されたものが前もって予測されたら既視感の歓びは出てこない。あからさまな期待よりも潜在的な期待を探る方が有効である。あるいは、あからさまなものを人為的に隠蔽してやる。もしくは、報われ方にオリジナリティを追求する。

ゴーリキー 『どん底』 На дне [1902]

予期の容易さからいうと、ナターシャの萌え騒動はいったん解決を見るのだから、ゴーリキーの性格からして、ああ……これはダメだな感慨は自ずと湧き上がるのであり、実際に破綻へと至っても何か図解的だ。 そもそも戯曲はカットを割りづらいので、プロットの運…

吾妻ひでお『失踪日記』 [2005]

萌え娘の、多分に善意を含んだ造形がキモイわれわれを「キモイ☆」と評しないとなると不自然なイヤらしさ現れ、かえって彼女の品位を貶めるおそれがある。萌え娘の知性と常識が試されてしまうのだ。したがって、キモイといわなくても済むような風景がほしい。…

日曜日にくぎゅのツンデレ百人一首を携帯に入れた

通勤中にくぎゅのツンデレヴォイスを聴いてると、とうぜんニヤニヤが沸き上がる。しかし世間体があるので、顔にニヤニヤが出てしまっては困る。顔面の幾何はわれわれの心理的な様相に依存するのであるから、通勤でくぎゅを聴いたとしてもニヤニヤできないの…

私は、一度きりという不可逆のよろこびに、微笑した (4)

虚ろに閉塞した星のない空だった。幼女は、物言わぬ暗い海の前景をゆるやかな足取りで歩いていた。重く湿った風が微かな潮の香りを運んでいた。 消え入るような着信音の調べに、幼女は足をとどめた。砂地の柔らかい路に腰を下ろすと、遠い彼方から潮騒の響き…

私は、一度きりという不可逆のよろこびに、微笑した (3)

衰弱は緩慢に進んだ。近頃は昏睡することが多くなったように思う。幼女の毒は腹の中で意気揚々と代謝を続け、私を数日の内に滅ぼすことだろう。 戸外では春らしい細い雨が降っていた。時折、音楽療法のおぞましい歌声が硝子を越して耳に届いた。私は、特にわ…

私は、一度きりという不可逆のよろこびに、微笑した (2)

練馬区役所の壁面を風が渡り、先輩の長い髪は波紋のように舞った。漆黒のせえらあ服を身に纏うその形姿は寛容でいて、どことなく冷ややかだった。 「――こんど結婚するの」 先輩は振り返り、そして私のために少しだけ微笑んだ。 「ここは愛のない無感動な宇宙…

私は、一度きりという不可逆のよろこびに、微笑した (1)

幼女の爆弾で滅び去った街を抜け、幼女の毒で汚染された丘を歩いた。幼女の毒に冒された体は、鎮痛剤の悩ましい暖かさに浸り、足取りは浮遊するような軽やかさだ。 昨夜の雨に拭われた空は高く、慈愛の色を湛えながら、練馬の大根畑の鳶色をした土塊を照らし…

日記

「勤勉な無能が本気を出すと人類が滅びるから、わが輩はダラダラと過ごさねばならぬのだ」

日記

今日はニコ動に上がっていた「くぎゅうううのツンデレ百人一首」を聴きながら、陵辱される女の子を描いた。明日は早いのでもう寝る。

日野理恵

「莫迦だなあ、岡田斗司夫のやつ。こんなすばらしいものが解らなくなるなんて」 「いずれ俺たちにも解らなくなるのさ。何も解らなくなるのさ」

谷崎潤一郎 『春琴抄』 [1933]

盲目の彼女を戸口まで曳いて行って、手水の水を掛ける件だが、うっかりして、ひとりで行かせると大変になる。「済まんことでござりました」と男は声を震わせる一方、女は「もうええ」と首を振るのである。 しかしこういう場合「もうええ」といわれても「そう…

広津和郎 『巷の歴史』 [1940]

造形の配分序列をプロットの連結規則に依存させる文芸的な余地は、いちおう認めてもよい。たとえば、情のある浮気者という整合性の危うさは、愛の広汎性と取引できるだろう。他方で、プロジェクト描画に対する社会的検証の不在は、物語のプロトコルを積極的…

ARIA The ORIGINATION #13

プリマに昇格して才能問題が解決を見たのだから、負け犬のなめ合いは、loserの定義を見直さないと継続できない――われわれはどこかしら寂しい負け犬である。したがって、アリシアへ視点移動を行い、彼女の感化のリソースを灯里と釣り合うように減じねばならぬ…

島崎藤村 『ある女の生涯』 [1921]

狂気を知覚できない狂人の叙述には遠近感がないので、文芸的な愛顧を求める競合へ乗り出すには、狂気に空間的な指向性を与えるべきだ。つまり、狂人は移動せねばならぬ。そこで伴う病の昂進は物語に機能性をもたらすだろうし、人格に対する憎悪と反感に及ん…

小島信夫 『微笑』 [1954]

不具の暴力は露悪趣味でカバーされ、やがて知性が生ずれば、療養の過程はロードムービーとして物語の価値へ貢献し、凝固した肉体は官能的な戯れとして処理もされる。 倫理上のコストと技芸の交叉は、悲惨さと横柄の兼ね合いから収受されるヒューモアで、粉飾…

小島信夫 『殉教』 [1954]

一人称の叙述でお話を運用するとしても、小説の記述を担えるような分節化の水準を語り手に求めないとしたら、狂人小説と似たような、人格と文体の違和感に至りかねないし、また、動機を定義する知性に欠けるため、希薄になりがちな行動の軌道の方向性は、こ…

ARIA The ORIGINATION #11

臨場した天才から見れば、凡才は成長の生け贄にすぎないが、負け犬は負け犬で、天才の感化を利用するような、ただでは転びたくない貧乏性がある。確かに、天才の副次的効果として凡才の成長が促進されても誤差の範囲だろうから、そこに合理化を期待するのは…

藤枝静男 『空気頭』 [1967]

ガジェットと風景の解像度そのものが日常の面貌にプロジェクトを進行するような機能性を与えた、というより、解像度の濃淡の配向で機能性が表白した、ということであり、ジャンル小説から私小説の解像度へ唐突に投げ出されるような作劇の極端な離断は、機能…