読書

宮部みゆき 『火車』 [1992]

急速な情報流出は構成上の負債を抱えます。情報ダムの枯渇によって、早くも序盤越えで失速する事態を考えねばなりません(たとえばポール・ハギス脚本の『告発のとき』)。本作では文庫版の140頁あたりから始まるサラ金の規範的描画が枯渇の指標となるでしょ…

ロバート・チャールズ・ウィルソン 『時間封鎖』 Spin [2005]

アンソロポロジーふうの篤実さも通俗のモデルも、造形に情報が伴えばイヤらしさから多少は免れるのですから、造形描画の水準においてジャンル小説の分限を守りたくあれば、ストーリーの生成を半ば記号化した造形に頼るのはつらくなるし、そもそも人類学的篤…

カズオ・イシグロ 『わたしを離さないで』 Never Let Me Go [2005]

細々と放流される情報ダムは、読者の関心を事件の顛末に駆り立てることで、その想像力と競合します。もし解答が読者の想像を超えなかったら落胆が大きいのです。しかし競合そのものを隠そうとしてダムの放流を絞ると今度はストーリーが流れなくなる。隠蔽の…

山本夏彦 『誰か「戦前」を知らないか』[1999]

ギャルゲー化した。

ロバート・J ・ソウヤー 『ターミナル・エクスペリメント』 The Terminal Experiment [1995]

技術や法の課題が低い分、仕事がやりやすい。あるいは人生の動機に資源を傾斜しない以上、工学的な動静の観察は保持せねばならぬ。法意識の悪意なき希薄さは、生活記述の強度を減じてしまうのだが、その危うい信用構造が一転してヒューモアを醸成し、シムの…

サリンジャー 『フラニーとゾーイー』 Franny and Zooey [1961]

先取りされた自己監視の形状に厚みと輪郭を加えて、死者から発せられた曖昧な示唆を可視的にしてやる。感傷を誘うのは、その訓致が一定の精度をともなって登記されていたことのメルヘンなのである。だから具体的な作劇の問題としては、この可視性のバリエー…

トルストイ 『イワン・イリッチの死』 СМЕРТЬ ИВАНА ИЛЬИЧА [1886]

憫笑のもたらす報復の効果に、延性や選別性を持たせたい。あるいは、結果的に憐れみへと至ったような偶発性がほしい。ようやく露見した唯一の好意に配慮したい気分があるし、そもそも報復が自覚されたら憐情にならず、優越感のゲームに敗北するからだ。文芸…

ジッド 『狭き門』 La Porte étroite [1909]

/ ̄ ̄\ / _ノ \ | ( ●)(●) . | (__人__) 母親のトラウマだけでは実用的な根拠に欠けがちな | ` ⌒´ノ 幸福の貧乏性も、乏しいからこそ、禅問答モードが . | } 可解性に対抗できる、という面もある。 . ヽ } ヽ ノ \ / く \ \ | \ \ \ | |ヽ、…

サリンジャー 『コネティカットのひょこひょこおじさん』Uncle Wiggily in Connecticut [1948]

知性に関して生理学的な用意がないとしても、文芸的な技芸として、造形の機械的信頼性を損なわない限りで、何らかの起源は検出されるべきだ。逆にいえば、生活の問題について可視的な充実は必要だが、そこに意味を見いだせるようでは悲劇に至らない。イベン…

サリンジャー 『バナナフィッシュにはもってこいの日』 A Perfect Day for Bananafish [1948]

イベントの分布が違和感のある広がりを保ちながら、そのベタな帰結ゆえに、自らを巻き上げ身を隠さねばならないこと。規則性に癒着しない生活情報の容量が、そこに呼応する自然な曲折をプロットに作り出すこと。構造の密度は、少女と会話が成立するような偶…

ゴーリキー 『どん底』 На дне [1902]

予期の容易さからいうと、ナターシャの萌え騒動はいったん解決を見るのだから、ゴーリキーの性格からして、ああ……これはダメだな感慨は自ずと湧き上がるのであり、実際に破綻へと至っても何か図解的だ。 そもそも戯曲はカットを割りづらいので、プロットの運…

谷崎潤一郎 『春琴抄』 [1933]

盲目の彼女を戸口まで曳いて行って、手水の水を掛ける件だが、うっかりして、ひとりで行かせると大変になる。「済まんことでござりました」と男は声を震わせる一方、女は「もうええ」と首を振るのである。 しかしこういう場合「もうええ」といわれても「そう…

広津和郎 『巷の歴史』 [1940]

造形の配分序列をプロットの連結規則に依存させる文芸的な余地は、いちおう認めてもよい。たとえば、情のある浮気者という整合性の危うさは、愛の広汎性と取引できるだろう。他方で、プロジェクト描画に対する社会的検証の不在は、物語のプロトコルを積極的…

島崎藤村 『ある女の生涯』 [1921]

狂気を知覚できない狂人の叙述には遠近感がないので、文芸的な愛顧を求める競合へ乗り出すには、狂気に空間的な指向性を与えるべきだ。つまり、狂人は移動せねばならぬ。そこで伴う病の昂進は物語に機能性をもたらすだろうし、人格に対する憎悪と反感に及ん…

小島信夫 『微笑』 [1954]

不具の暴力は露悪趣味でカバーされ、やがて知性が生ずれば、療養の過程はロードムービーとして物語の価値へ貢献し、凝固した肉体は官能的な戯れとして処理もされる。 倫理上のコストと技芸の交叉は、悲惨さと横柄の兼ね合いから収受されるヒューモアで、粉飾…

小島信夫 『殉教』 [1954]

一人称の叙述でお話を運用するとしても、小説の記述を担えるような分節化の水準を語り手に求めないとしたら、狂人小説と似たような、人格と文体の違和感に至りかねないし、また、動機を定義する知性に欠けるため、希薄になりがちな行動の軌道の方向性は、こ…

藤枝静男 『空気頭』 [1967]

ガジェットと風景の解像度そのものが日常の面貌にプロジェクトを進行するような機能性を与えた、というより、解像度の濃淡の配向で機能性が表白した、ということであり、ジャンル小説から私小説の解像度へ唐突に投げ出されるような作劇の極端な離断は、機能…

藤枝静男 『田紳有楽』 [1976]

物理的な査定の寛大さが仇になるのか、視点の操作や情報差のゲームが雑然としていて有効に活用されないし、想像力の地理的な版図も、叙述の詩学を弄するような刹那的な粉飾に解されがちだ。したがって物語の技術的なこだわりは、情報の差を万能感へ導く戦略…

ケン・フォレット 『大聖堂』 The Pillars of the Earth [1996]

プロジェクトの規模が拡大し安定するとプロットの収穫逓減が始まる。危機に対する感受性が薄くなり、成長のよろこびとスリラーが損なわれてしまう*1。また、物語がゼロ和として設定されると、プロジェクトの安定はそれまで拮抗してきたantagonistsの凋落を意…

やりすぎた純文学はハードなSFと区別がつかない

作家は自分で自分を腑分けして、その臓器の一々に解説を加えるものだと漱石はいうが、では実際に狂いつつある自分を叙述できるかというと、白痴の内心を解析する困難がやはり思い出される。つまり叙述できる狂気は狂気ではない。叙述された狂気はどことなく…

桜庭一樹 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 [2004]

加圧しないと作動しない女性の友情に事件を利用するのは方法論的に正しい。また、兄貴の引きこもりにしたって、立ち直って自衛隊では余りにも中学の道徳教材すぎから、プロット自体は仕方ないにしても、その過程で高慢な兄貴が可憐な萌え少年に変貌して受け…

谷崎潤一郎 『細雪』 [1942-48]

見合い相手のインフレーションというべきか、婚期を逃し売れ残りの危機が高まるほどに、かえって好ましい男性が現れるのである。加えて不可解なことに、せっかく俺様のような好人物が到来したというのに、雪子の稚拙な対応で肝心な話はまとまらない。「俺様…

古橋秀之 『おおきくなあれ』 [2005]

時間の遡行を可逆的に扱うと、経験の希少性の実感が薄くなって感傷を煽りづらくなるのでは、と考えてしまう。ただいったん遡行が始まり、ワラワラと典型的なトラウマが発見されてくると、可逆性という軽さが何らかの付加価値に寄与することで、古典的なトラ…

藤沢周平 『蝉しぐれ』 ('88)

教養小説には終わりがある。つまり人の成長には限度がある。だから高度成長が終わった段階で、そのフォーマットは何らかの変容を被らねばならないだろう。成長を描画することの歓楽がもはや利用できないのだ。 この点、藤沢は教養小説を政治スリラーにつなげ…

オースン・スコット・カード 『無伴奏ソナタ』 Unaccompanied Sonata [1979]

定常した社会のありさまについて、ふたつの見解があって、この仕組みが今日まで生き残ったのは何らかの有効性があったためであり、したがって意味を見出したい、という考えもあれば、それは束縛であり現状の肯定に過ぎない、というのもある。 クリスの幼少教…

グレッグ・イーガン 『ひとりっ子』  Singleton [2002]

われわれがエロゲーの分岐に戸惑うのは、パラレルにお話を把握することができないからだ*1。たとえば、自閉気味の天才少女をたらし込んだ人生と、パン屋の娘をたらし込んだ人生が、何のいい訳もなく陳列されるのだが、リニアにしか物事を捉えられないわれわ…

コリン・ウィルソン 『賢者の石』 The Philosopher's Stone [1969]

この胡散臭いユーモアは『非Aの世界』('45)と似ていて、どちらの内語も莫迦みたいに超人化する自分をフォローしてゆくのであるが、例のごとく、われわれには、われわれの能力を超えたものを語ることができないので、そのすげえ感じがよく解らない。したがっ…

バリントン・J・ベイリー 『時間衝突』 Collision with Chronos [1973]

『禅銃』('83)が海洋型のオリエンタリズムだとすれば、『時間衝突』は大陸型のそれだ。封建社会で武装民に事欠かない前者にあって物語が問題とするのは、行使の規整にかかわる倫理であるし、対して、基本的に文治主義を指向する大陸型の後者は、非常時に際し…

スコット・フィッツジェラルド 『グレート・ギャッビー』 The Great Gatsby [1925] & トニー・スコット 『スパイ・ゲーム』  Spy Game [2001]

恋愛のために莫大な投資が行われると、やがて破局するプロジェクトの不幸をうまく把握できない恐れが生じる。投資活動のために購われた、長年にわたる忍耐と労力の蓄積が、不幸に対する耐性を醸造しかねないのである。結果、膨大な投資にもかかわらず恋愛が…

アルフレッド・E・ヴァン・ヴォークト 『非Aの世界』 The World of Null-A [1945]

記憶の継続性に欠けることが明らかにされると、今度は生体の継続性がなくなる。物語を運用する見地からいえば、情報の逐次投入が行われているわけだが、そこに内語の奇妙で唐突な分譲の問題を重ねてみると、感興を保持する技術に加えて、視覚や内語の経験を…